シャーキーの挑戦 − ターニングポイント 01 −

 
5月23日発売のLaranja Azul Vol.52では、
巻頭特集に高木善朗選手が登場予定。
今季絶好調の高木選手が、
アルビレックス新潟に加入した2018年に取材し、
Laranja Azul Vol.23で掲載した「ターニングポイント」を
3回に分けてお届けします。
 


 
その時、運命は回り始めた。
フットボーラーとして大きく飛躍した“瞬間”とは—。
18歳でかなえた、海外移籍の夢。
オランダで過ごした2年半は、今につながる糧となった。
 


人生初の一人暮らし
あり余る時間の中で

 

 海外でプレーしたいと思ったのは、2009年のFIFA U−17ワールドカップ ナイジェリア大会がきっかけだった。ネイマール(現PSG=仏)、コウチーニョ(現FCバルセロナ=西)、カゼミーロ(現レアル・マドリー=西)らを擁する、U−17ブラジル代表を相手に得点も決めた。ブラジルにはロスタイムに突き放されて2−3で敗れた。スイスに3−4、メキシコには0−2。結果は3戦3敗だったが、正直、世界との差は、そこまで感じなかった。それと同時に、そのわずかな差は、どんどん広がっていくだろうとも感じた。
「あの時点では、紙一重の差。でも彼らは世界のトップレベルで練習して、どんどん成長していく。Jリーグでプレーするのとでは、その成長スピードが違うと思ったので、僕も海外でプレーしてみたいと思ったんです」。
 東京ヴェルディユースに所属していた高木は、高校2年生でトップチーム2種登録選手となった。その年のオフにはドルトムントの練習に参加。翌年9月にトップチームとプロ契約すると、オフにオランダ一部のユトレヒトからオファーを受けて練習参加した。「ドルトムントに行っていたから、慣れていたんですよね。PSVとの練習試合でも点を決めて、いいアピールができた」。そして、正式なオファーが届いた。
「当時はヴェルディもJ2だったし、そこからオランダ一部への移籍って、なかなかないチャンス。すぐに決めました」。18歳で、夢だった海外移籍をかなえた。
 それでも半年は、現地への順応に時間を費やすことになった。最初の約1カ月半はホテル暮らし。「毎日1人で、ホテルでごはんを食べなきゃいけないし、運転免許も車も持っていないから、外に出られない。めちゃめちゃホームシックでした」。
 その後、現地のホストファミリーのもとでホームステイをすることになったが「文化の違う人たちと一緒に生活するのは、すごく大変で。毎日、パンとかジャガイモとかの食事もしんどい。『日本食が食べたかったら、キッチンを使っていいよ』と言われるんですけど、ごはんを作って出してくれているのに、違うものを作って食べるって、日本人の感覚からすると、失礼じゃないですか。『それは失礼だからできない』っていうんですけど、理解してもらえなくて」。高木の礼儀正しさが伝わるエピソードだが、だからこそ苦しんだ。結局、ホームステイは約2カ月で終了。チームから反対されるのも押し切って、一人暮らしを始めることにした。(続)
 


 
Yoshiaki TAKAGI
1992年12月9日、神奈川県生まれ。あざみ野FC、東京Vジュニアユース、東京Vユースを経て、2011年にトップチーム昇格。高校2年時、1歳上の兄・俊幸とともにトップチーム2種登録選手となる。2009年のU-17W杯ではグループリーグ3試合出場1得点。高校3年時の10年9月にプロ契約を果たす。11年夏にユトレヒト(オランダ一部)へ。14年に清水でJ復帰し、15年途中から東京V。16年から10番を背負う。18年、新潟へ完全移籍加入。ルヴァンカップ第3節・横浜FM戦(●1-3)では、鮮やかなループシュートで新潟初得点を挙げた。168cm、65kg
 

※掲載内容は発行当時(2018年5月20日発行 Laranja Azul Vol.23)のものです。